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迷子になって見つけた公園

メンバーノートのジョーダンメンバーノートのジョーダン|2026年5月27日|4分で読めます
迷子になって見つけた公園

火曜日、わざと道を間違えた。普段の自分なら絶対にしないことだ。決めたルートがあったし、決めた時間もあった。でも、そのどちらも守らなかった。二十分後、家から一マイルも離れていない、見たことのない公園の端に立っていた。芝生はまだらで、ベンチの板が一枚割れていた。でも小さな池があって、鴨が二羽いて、他には誰もいなかった。しばらく座った。それで十分だと思えるように、今はしている。

今週のこと

水曜日、寒くて少し湿気があった。学校のそばを通っていつもの周回コースを歩くつもりだったけど、前の日から左膝が張っていて、無理をする気になれなかった。代わりに、見覚えのない脇道に入った。舗装はでこぼこで、足元ばかり見てしまう。何ブロックか行くと家が途切れ、隙間のあるフェンスが現れて、その向こうに木が見えた。大木じゃない、細い樫の木が少しだけ。でも、道路の騒音はほとんど消えていた。その隙間を通り抜けて、池を見つけた。

五分くらい、そこに立っていた。数えてはいない。鴨は無視していた。向こう岸をジョギングの人が通り過ぎたけど、こちらを見もしなかった。自分が透明になったみたいで、それが心地よかった。膝は悪化しなかった。

試してみたこと

金曜日、もう一度行ってみた。今度はわざとだ。スマホはポケットに入れたまま、歩行記録は取らなかった。歩数も、時間も、ペースもなし。ただ、目的を持って行ったときに、同じように感じるかどうか知りたかった。だいたい同じだった。池はまだそこにあったし、鴨もいたし、ベンチも壊れたままだった。でも新しいことに気づいた。水際に泥の場所があって、亀がいるのかもしれない。「遊泳禁止」と書かれた傾いた看板。池の深さはせいぜい膝くらいなのに。ベンチに座ると、割れた板が腿に食い込んだけど、気にならなかった。十分いて、帰りは違う道を通って、八ブロックほど余計に歩いた。

試した小さなこと:ルートを空白にしておくこと。普段は散歩の前の晩に、通りの名前まで決めてしまう。今週は、自分をさまよわせてみた。足だけでなく、頭も休ませるような感じがした。

学んだこと

この二年間、この公園のすぐそばを歩きながら、気づかなかった。それが少しこたえた。公園が特別だからじゃない。自分があまりに決まったルートに固執していて、見落としていたからだ。それから、新しい場所は、たとえ小さくても、二十分の散歩をいい意味で長く感じさせる、ということもわかった。時間が伸びる。家に帰ると、いつもより不機嫌じゃなかった。

でも失敗がある。土曜日、新しい公園を日課にしようとした。地図を描き、時間を計り、一日おきに行くと決めた。日曜の朝にはもう、そこへ戻ることに小さな恐怖を感じていた。昔のルートに対して感じるのと同じ恐怖だ。それに気づいて、やめた。公園が大事なんじゃない。大事なのは、たぶん、間違った曲がり角のほうだ。

次にやること

公園を予定には入れない。今週また行くかもしれないし、別のフェンスの別の隙間を探すかもしれない。図書館の近くに一度も歩いたことのない通りがあるし、食料品店の裏の未舗装の小道は、ずっと誰かの家の庭に続いていると思い込んでいた。実際どこに行くのか見てみたい。計画と呼べるものがあるなら、週に一度、散歩を予定なしにすることだ。地図もタイマーもなし。ただ方角を決めて、何が見つかるか試してみる。公園かもしれないし、行き止まりかもしれないし、ただ家が並ぶだけの通りかもしれない。どちらにしても、膝は大丈夫だと思う。

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