今週のこと
木曜日、寒くて湿気があった。ベッドの端に長いこと座って、自分の靴をじっと見ていた。よく眠れず、左膝がギシギシした。十分だけ歩こう、それでも不機嫌だったらすぐに帰ろう、と自分に言った。三十一分で戻ってきた。最初の四分は最悪で、次の十分はなんとか我慢できて、十五分目にはもう数えているのを忘れていた。気づかなかった水たまりで靴下が濡れた。少し馬鹿みたいだけど、少し誇らしくもあった。誰にも言わない、静かな誇りだ。
試したこと
この「十分の嘘」をもう数ヶ月使っている。シンプルだ。動きたくないときは、十分だけ、たった十分、と言う。その瞬間は本気でそう思う。靴を履いて外に出て、時計をスタートさせる。ルールは、ちょうど十分でやめてもいいし、罪悪感はゼロ。実際にやめたのは二回だけで、どちらもお腹の調子が悪かったからだ。それでも行ったのだから勝ちと数えている。
今週はバリエーションを試した。月曜日、新しい靴でかかとに小さな水ぶくれができていて、歩くのが憂鬱だった。五分だけ、と自分に言った。ブロックの端まで行って戻るだけ。そっちのほうがずっと手がつけやすく感じた。結局二十二分歩いた。嘘が小さいほど抵抗が少ない。五分なら何でもないように思えるから始められて、始めてしまうとその嘘を超えて進んでしまう。
学んだこと
動かないことと動くことの間のギャップは、ほとんど頭の中にあると学んだ。恐怖はいつも、歩くことそのものより大きい。火曜日は、自分がどれだけ疲れているかという小さな物語を頭の中で作り上げてしまい、危うく行かないところだった。ソファに座って十五分間、自分と議論した。その議論のほうが、歩くより疲れた。ようやく行ったら、六分後には気分が良くなった。教訓があるとすれば、本当に消耗させるのは運動ではなく、あの議論のほうだということだ。
小さな水ぶくれはサボる理由にならないことも学んだ。絆創膏を貼って厚手の靴下を履いたら大丈夫だった。ちょっとした不快感を停止標識のように扱う癖がある。たいていは、ただの「ゆずれ」の標識だ。体は、心が認めるよりずっとタフだ。
次にやること
朝起きて体がこわばっているときに、五分の嘘を試してみたい。そういう日が一番きつい。たぶん、五分だけ外に立って、少しストレッチでもすれば、結局もっと長く歩くことになると思う。ドアのそばに小さなノートを置いて、歩く前と後の気分を走り書きするつもりだ。日記ではなく、一行か二行だけ。そのパターンを見れば、不機嫌な日に役立つと思う。
来週は、足首の調子が良ければまた泳ぎに行くかもしれない。水が恋しい。でも今は、歩くだけで十分だ。この嘘だけで十分だ。




